王道大家さん

■加藤ひろゆきさんのような「自由人」に憧れて不動産投資を始めたんです。

スタートは「実家を担保に、収益不動産が買えないかな」と思ったことから

 2008年4月入会 星野昭夫さん
 1棟4戸(杉並区)

        

将来を考えて今の仕事をフェードアウトしたかったんですよね。
2棟目のアパートは杉並なんですけれど、もともとは実家なんですよ。ローンもほとんどなくなっていたので、そこを担保にして収益不動産が買えないかなあってちょっと思ったんですよ、それほど深く思っていたわけではないんですが。
たまたまパラパラっと見た本から問い合わせをして1週間以内に王道プラザに行き、その後1週間くらいしてスタートです。

実家は、親がある程度頭金を出して、私がローンを組んでいたんです。
私は当時関西にいて親がそこに住んでいて、繰り上げ返済をし残高を減らしていたんですよね。それでもう残高もなくなってきて担保評価が出るんじゃないか、それと自己資金1000万で出来るかなと思って王道に相談したら、十分できるからさっそく土地を探したほうがいいということになったんです。

ラッキーだったのは、リーマンショックで土地が3000万円値下がりしたこと

1棟目の土地探しは、今勤めている会社に不動産事業という部門があり、レインズとか全部見られたんです。王道で推奨する田園都市線とか世田谷とか、杉並でも行けるんじゃないかなと、その方が家も近いし。それで見るようになったんです。
その時に杉並の1棟目の土地が1億3000万円くらいで出ていたんですが、ちょっと回らないなということで断念していたんです。ところがリーマンショックが起きて1億ジャストで買えたんです。
宮下さんが交渉してくれて1億で落してくれたんで、そこに実家を担保に入れて自己資金で、総額1億8000円位借りました。リーマンのおかげですよ。
そこは建築会社が持っていてアパート建てようとしていたようですが先行き不安ということで売りに出したらしいです。
本当にラッキーでした。坪135万かそこらで、75坪ありますからね。

1棟目建築後、何の不安も問題もなかったので2棟目へ

入居は1カ月かからなかったかなあ、出来すぎだっていうくらい埋まって、現在まで何回か入れ替わっているけれど今のところ満室ですからね。ですから、何の不安も問題もなく2棟目に行けました。銀行さんは、まだ建てたばかりで1年ぐらいしかたっていないからと言っていましたが、一応私の属性でどうにかやってくれました。

2棟目は、ゆくゆくはアパートにしようと思っていた実家に建てたんです。
親が急に相談があるんだけどと、1戸建てに住むのは管理とか大変だからマンションに引っ越そうと思うみたいな話をもちかけられて、じゃあマンション借りようってことになり、ジェレントの小室さんに物件紹介してもらいました。今は、荻窪の富士山の見えるマンションで幸せに暮らしています。
親がその気になって家を空けてくれてので、じゃあ2棟目をここに建てちゃえって感じで計画しました。

1棟目の時は億単位の借金がありますから、家内にも不安があり王道プラザにも結構来ていて自分の感覚でやっていたんですけど、2棟目の時はほとんどもう丸投げです。
宮下さんがこう言っていたとか、宮下さんがこうしたほうがいいって言ったからって、うちの奥さん全部そのまんま、いい男っていうのは得ですよね。(笑)

入居者の最大公約数的な考えを一番わかっている宮下さんのアドバイス

1棟目の時は、部屋数があったので間取りはスタンダードな感じでお決まりなパターンですけど、2棟目は低層で斜線規制があり、ちょっと駅からあるので設計に知恵がいって、その知恵をある程度かけた結果、奥さん的にはちょっと気に入らないところがあったみたいです。
でも宮下さんがチェックして大丈夫だと言うと納得していました。小櫻さんが設計をやって、宮下さんが実際細かいところをチェックして、変更するものはしていくというこのやり取りに、うちの奥さんは非常に厚い信頼をもっているようです。

これから借りようとする人の最大公約数的な考えが一番わかっているのは宮下さんです。
だから、キッチンのグレードだの、壁の素材だの、色だとか全部お任せしました。自分が気に入るかどうかではなくて、いわゆる借りたいという動機をどう出させるかのために色遣いをし、そのための設計なんだということが分かって、だから2棟目は何も言わなくなったんです。

2棟目の建物にこだわったことは二つだけ

2棟目に関してお願いが二つだけありました。柿の木があったんですが、美味しい柿だったです。思い出の木で、最後に孫と私とじいちゃん、ばあちゃんでこの柿を取っていました。
柿を取った後、思い出の柿の木をどうしても残したいということになったんです。
この木を切るのは忍びなかったんですけど、切らざるを得ない。だからこの木を切って何か残してくれないかって小櫻さんに頼みました。そうしたら呼んできた彫金家が、銅板をくりぬいてアパート名を作り、柿の木にアパートの名前を1文字ずつ埋めてくれたんです。
だからいまだに思い出の柿の木が残っています。それで建物は全体的に柿の木のイメージの色合いにして、オレンジのドアの枠を作ったり、屋根を緑にして柿の木のイメージの外装にして、アパートの名前にも柿を入れたんです。
二つ目は、隣が駐車場だったんで柵だけは作ってくれと言いました。後はほとんどお任せです。

掃除は障害者の「明日の会」に依頼

1棟目は近くに社会福祉の作業所があり、そこに掃除を依頼しています。月1万円で週2回くらい来てくれて、玄関周りとかゴミ置き場を掃除してくれたり拭いてくれたり、通行人あてに煙草のポイ捨て禁止の張り紙までしてくれています。よくやってくれています。2棟目の方は、門も何もないので掃除の必要もないんです。

会社が本筋ではなくなったのですが

結局アパートを建てたことと、会社に不動産部門があることによって、不動産に詳しい人間という扱いをされて、そのまんま不動産会社の社長にされちゃいました。
宅建の資格も取ってしまいまして、知らない間に私って不動産屋の社長なんです。(笑)

家賃収入で生活している人って羨ましいと思っていましたが、もともと地主とか遺産だったりとかで、自分は無理だろうと思っていました。でも頑張って何か勉強してみれば、無理だと思ったのが可能になるんじゃないかと思いましたね。
だって、自分がそんな14部屋のそういう不動産持てるなんて思ってもいなかったです。
漠然と憧れていたのに、3〜4年たったら本当に実際できちゃった。私が持っていた会社の社会でのステータスというもあったと思うんです。
ローンがつきやすかったというのもあるんでしょうけど。

私は不動産をやったのは、自由人、加藤ひろゆきさんのような人に憧れていました。
ところが面白いもので、1棟建てて2棟目に行きたいなあと思うと、会社にいなければいけないじゃないですか。会社辞めようと思ったから不動産やろうと思ったのに、不動産やるために会社を辞めてはいけないなって思いまして、でも結局このおかげで、会社に対しては本筋でなくてもいいかなあという、関連部門でいいから、ちょっと自分のいろんな時間がほしいかなって、今までとは。

賃貸経営の実績を買われて

自分で家を買ったくらいですから不動産に興味はありましたけれどね。
宅建を取るまでなるとは全く考えていなかったです。楽してどうやって生きていくか、怠け者っていうのは怠けるためにどうやってするか考えるんです。大家さんになって一日のんびりと暮したいなあと思ってやったんですけど、今度会社の中で不動産部門が出来ると、会社自体が会社の資産形成をしていく時期に入ってきまして、そうすると会社の中ではわかる人間は私しかいないんですね。実際自分でも賃貸事業をやっているっていうことで、今度はこれから会社の方向に合うような物件、立地、そういうものの情報をさばくことをするようになりました。

そこで、宮下さんとか小櫻さんとかいろんな人に設計上の問題とか、まあもちろん自分でも宅建の勉強したりとかがあって、そう言えば宮下さんこんなこと言っていたなとか、社員寮はどうすればいいかとか、本にも出口戦略どうすればいいって書いてあったなあとか思い出してね、会社のなかで説明するとスペシャリストっぽく見えるんですよね。全部受け売りで話しているのに凄い人、いつの間にこんなに勉強していたんだと思われているんです。(笑)
私はもう管理者だから机に座ってパソコンでいろんな不動産の情報とか見ているだけですが、アパートを建てたことがずいぶんと役に立っています。でもたぶん以前よりのんびりしていますけどね。(笑)

個人的にもできればもう1棟行きたいですよね。賃貸併用で自分の家を建てたいなと思っています。
これから始める人達に言うとしたら、まあとりあえず勉強は必要だな、なんでもいいからとりあえず勉強して、やっぱり王道チームを信じるべきです。