■□ 王道通信 □■ Vol.59
目次
1...専業大家の独り言 〜 「親の家」有効活用法
2...境界入門(6) 〜 境界画定の訴え
3...編集後記
1...専業大家の独り言・白岩貢
◇「親の家」有効活用法
アパート専業大家・白岩貢
- いよいよ私の書籍第2弾『「親の家」でお金持ちになる方法』がアスペクトから発売され、書店に並び始めました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4757214995?tag=webtanntoukak-22
「親の家」というのは、ローンが終わり、抵当権も何も付いていないマイホームを比喩的に表現したものです。
そして、不動産投資のひとつとして、この「親の家」にアパートを建てたり、アパート併用の自宅を建てたりすることを提案しているのです。
つまり、- すでにあるマイホームという資産(不動産)に
- 追加投資することでアパートなどを建て
- そこから収入を得る
という作戦です。
アパートを建てたりする費用(追加投資)は、自己資金のほか、抵当権の付いていない土地を担保にローンを借りてもいいでしょう。
自分たちが住むところは、アパートなどからの賃料で他に賃貸住宅を借りたり、あるいはアパートと一緒に建てる(アパート併用住宅)という形をとります。
こうすると、基本的に投資するのは建物分のみです。
その結果、フルローンであっても、賃料収入に対する利回りは高くなり、空室やローン金利の上昇に対する“抵抗力”も付きます。
不動産投資の方法はいろいろありますが、「親の家」活用法は非常に安定性が高いといえるでしょう。
この本では、大家として私がホームグラウンドにしているのは東京の世田谷・目黒に親の一戸建てがあるとして、A)そのまま自宅として住み続けるケース
B)パートを建てて自分たちは賃貸マンションに住むケース
C)パート併用住宅を建てるケース
詳しくは書籍に譲りますが、Aの親が自宅にそのまま住むケースでは、せっかくの人気エリアなのにお金を産むことはなく、むしろ、固定資産税や補修費など出費がかさみます。
その額は25年で1000万円を超えます。
一方、アパートを建て、親は賃貸マンションに住むBのケースでは、全額ローンでアパートを建てたとしても、差引き年間150万円以上が手元に残ります。
さらに、ローンは25年後に返し終わるので、その後は400万円以上が手元に残るのです。
また、アパート併用住宅を建てるCのケースでは、アパートとして貸す部屋が減りますが、ローンの負担なしで新しい自宅ができ(家賃でカバー)、住み慣れた場所にそのまま住み続けられます。
このように、自宅の土地が持つ潜在的な収益力を引き出せば、生活のゆとりはずっと広がるはずです。
みなさんもぜひ、「親の家」に注目してみてください。
※なお、上記アマゾンのサイトでは、感想(レビュー)が書き込めます。
甘口も辛口も大歓迎。ぜひ、みなさんの感想やご意見をお願いします!
境界入門(6) 〜 境界画定の訴え
- 土地の境界に争いがある場合、最終的には裁判で決着をつけるしかありません。
これを「境界確定の訴え」といいます。
ただ、「境界画定の訴え」は非訟事件と呼ばれるタイプの訴訟で、通常の民事訴訟とはかなり違っています。
例えば、原告は、どこが境界線か主張しなくても、裁判所に境界線の確定を申し立てるだけでよいとされます。
裁判所も、原告、被告の主張にとらわれず、裁判所独自の判断で境界線を確定できます(通常の民事訴訟では基本的に、原告、被告いずれかの主張を認める判決しかできません)。
また、裁判所はできるだけ客観的に境界線を発見しようとしますが、もし見つからない場合は、土地の占有の状況、隣り合う土地それぞれの公簿面積と実測面積との関係、公図その他の地図、目印になっていたであろう木や石、場合によっては地形や地面にできた雨だれの跡なども参考に、総合的に判断します。
さらに、どうしても判断がつきかねるときは、争っている土地を等分して境界を定めることもあるのです。
このように、「境界画定の訴え」は比較的簡単に起こせますが、裁判所が現地を調べたりする時間や費用が結構、かかりますし(費用は当事者の負担)、結果も当事者の主張には拘束されないので、思ったほどの実利があるわけではありません。
それでも、当事者の感情やメンツの問題として「境界画定の訴え」を起こすケースは多いようです。
編集後記
- 先週の土日、東京ビッグサイトで、ナイスわくわくフェアというイベントがありました。
住宅設備メーカーや工務店などが、主にマイホームを建てようという人に情報提供するものです。
それにしても、どんどん新しい設備や工法が登場しているんですね。
で、ここに我が王道もなんと、小さいブースを出して、DVDや白岩さんの本を並べました。
「マイホームより、アパートを建てましょう」と、いうのですから、会場でもかなり浮いていましたが、中には関心を持ってくれる人もいました。
時代は少しずつ変わってきているように感じました。(古井)Vol.58 <<